黙想の糧(5月3日)
ルカ11:27〜36、詩編88編

あなたの体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、体も暗い。 だから、あなたの中にある光が消えていないか調べなさい。 ・・・ちょうど、ともし火がその輝きであなたを照らすときのように、全身は輝いている。

「絶望してはいけませんか?」

「どうして神様、何もしてくれないのですか…」
先月の礼拝での、姉妹の祈りに心が揺さぶられました。
復活のイエスはどこにいる。どうしてこんな苦しみを与えるんですか。
その祈りを聞きながら詩編88編を思い起こしていました。
詩編150編の中で最も悲しい詩です。

 原文は「私の友達は暗闇」という言葉で終わっています。
詩人は神様を信じています。
でも信じているからこそ、理由のわからない苦しみに絶望し、光が見えないのです。
 今日の福音は「目が澄んでいれば(原文は単純、一つであれば)、
光によって全身が明るくなる」と告げています。
この「光」は、目を通して入ってくる光のことで、私たちが所有している光ではありません。

私たちには光は最初からないのです。
光がないから、目を通して入ってくる神の言葉(光)を受け入れなさいと、
イエス様は言われたのでした(ルカ11:28)。

 神を信じていても人は絶望します。
イエス様はそのことをご存知でした。
でもだからこそ、目は一つでいなさい。
全人類に向けられた神の怒りを、一人その身におって、死んで復活されたイエスを見つめなさい(ヘブライ12:2)。
詩人も望んだ希望の光が、あなたの目に届きますように。