黙想の糧(8月2日)
マルコ2:13〜17

ファリサイ派の律法学者は、イエスが罪人や徴税人と一緒に食事をされるのを見て、弟子たちに、「どうして彼は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。 イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」

「あなたもわたしの食卓へ」

  徴税人レビの家の食卓です。食卓には主イエス、弟子となったガリラヤの漁師たち、従ったばかりのレビ、そして多くの徴税人や罪人がいました。律法学者が「どうして彼は一緒に食事をするのか」と弟子たちに質問します。イエス様は「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」と答えられました。
 当時のユダヤ人は、徴税人や罪人とは食事をしません。彼らは神の救いから除外されていると考えられていたからです。それは、最近イエスに従ったガリラヤの漁師たちとて同じ思いだったでしょう。彼らも以前は徴税人のやり方に苦しめられてきたからです。それに、彼らは網を捨ててイエス様に従ってきたのです(1:18)。それなのにレビは喜んで、自分の仲間を家に呼んでいる。たとえイエス様は平気でも、どうしてこんな連中と一緒なのか。イエス様の食卓には喜びの人も疑念の人もいます。
 いろんな謀りごとを心にもつ人々が集まる食卓。それは教会のことでもあるでしょう。お互い全てわかり合っているわけではありません。でも、イエス様はそのことも承知の上で、ご自分の食卓に人々を招かれます。誰が正しくて誰が罪人か?そんな人間同士の比較のことなどイエス様の心にはありません。
 神は全ての人が生きることを望んでおられます。イエスを真ん中にして食べることは、イエスと共に生きること。主の食卓である礼拝にあなたも招かれています。ここで、私たちはイエスにあって一つとなるのです。