黙想の糧(1月13日)
ヨハネによる福音書 3:29〜30

「花嫁を迎えるのは花婿だ。花婿の介添え人はそばに立って耳を傾け、花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ。だから、わたしは喜びで満たされている。 あの方は栄え、わたしは衰えねばならない。」

「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」

 洗礼者ヨハネが主イエスとの関係を言い表した言葉です(ヨハネ3:30)。「ねばならない」は、神の意思を表す言葉で、聖書協会共同訳では、「あの方は必ず栄え、私は衰える。」と訳されています。「栄える」という言葉は、聖書によく使われる言葉ですが、旧約聖書ではサーハルという語です。成功する、繁盛するという意味もありますが、見る、洞察する、慎重に賢く振る舞うという意味が語根にあります。このことからわかることは、聖書が告げる「栄える」は、神の御心がどこにあるのかをじっと見て洞察し、慎重に賢く振る舞うことで繁栄するという見方をしていることでしょう。イエス様は、まさに神の御心だけを尋ね求めて歩まれた方でした。

 ところで、預言者エレミヤは「栄える」ことの反対方向に、「散らされる」という言葉を使いました。エレミヤ書10:21「彼らはよく見守ることをせず、群れはことごく散らされる。」ここに「見守る」とあるのが、「サーハル」で、エレミヤはそれをしない者は「散らされる」と語りました。

 信仰者が陥りやすい過ちは、ある時点での結果だけを見て自他を評価しやすいことかもしれません。思ったような結果が得られればいいけれど、そうでなければダメだと思う。信仰を神の見守り(サーハル)の中で養うことよりも、「できる」「できない」で信仰生活の実りを考えてしまうことです。そして、そのような思いは、できない人を裁くようにもなります。衰えていくことも神の御心だと受け止めていないと、人は神の御心から遠ざかる「繁栄」の仕方をしてしまいます。エレミヤは、その先にあるのは「散らされる」と語りました。