黙想の糧(7月14日)
使徒7:51

「かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。」

「かたくなな心」

 ステファノが殉教前に語った言葉です。
 「かたくな」というギリシア語は、“首筋を固くする”が直訳です。ヘブライ語での意味を受け継いでいて、農作業をする動物にくびきをかけ、人が手綱を引いて方向を指示しても、首筋が固くて思う方に向こうとしないことを表しています。ここから、神の心に触れようとしない強情さを表すようになりました。
 パウロは、ローマの信徒への手紙で「あなたは、かたくなで心を改めようとせず、神の怒りを自分のために蓄えています。」(2:5)と語りました。自分こそが正しい者として、律法を実行できない者を軽蔑する心を、パウロは「かたくな」という言葉で表現しています。かたくなな人は「くびき」をかけられて、軽蔑する心が日常化しているのです。
 神の怒りを蓄えているというのは、「かたくなさ」で、自らを傷つけ、周囲をも傷つけることをあなた自身がしていると言っているのです。ではどうしたら、人は「かたくな」という強情さから「やわらかさ」に変えられていくのでしょうか。
 エレミヤは、人は折ってはならない「くびき」があると教えました。(エレ2:20)イエス様は「…わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。」(マタイ11:28)と語られました。「かたくなさ」から神の願われる「やわらかさ」に変えられるためには、イエス様が招いておられる「わたしのくびき」を共に負っていくのです。神の前に謙虚にひざまずき、イエス様から「やわらかさ」を学ぶのです。神の深い慈しみだけが、わたしたちを変えていくのです。