黙想の糧(4月7日)
マタイによる福音書26:13

世界中どこでも、この福音が宣べ伝えられるところでは、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。

「この福音が宣べ伝えられる」

 「世界中どこでも、この福音が宣べ伝えられるところでは、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」(マタイ26:13) 主イエスに香油を注ぐ女性の物語の最後に記された言葉です。「油注ぎ」の行為は、旧約では、王やメシアを立てる際に行う象徴的な行為です。その理解からすると、物語に登場する女性は、旧約で語られてきた預言の成就を告知する存在です。
 ところで、同様の物語はマルコによる福音書にもあり、上記の言葉はマルコ14:9にも書かれています。見比べてみてください。マルコには、マタイが記した「この福音」の「この」は書かれていません。マタイは先に書かれたマルコの福音書を知っていますが、あえてマルコにはない「この」を入れたのです。
 これはとても重要なことを意味しています。マタイは「福音」と「女性の行為のストーリー」を同一視しています。つまり、もし彼女のストーリー「この福音」が語られないなら、その時福音は、世界中に本当には宣べ伝えられていない、ということをマタイは語ろうとしているのです。
 紀元1世紀に福音書が書かれた時代は、男性中心の社会で、父権制的構造のゆえに、女性の声が排除されるのが当たり前のような時代でした。しかし、そのような時代にあって、聖書が「この福音」と「この人(女性)のしたこと」を結びつけていることは、驚くべきことです。彼女のしたことは、その時代の社会構造をくつがえすことをも意味しているからです。十字架のもとにいたのは女性の弟子たちでした。復活の時の最初の証人もそうです。福音は、当時、抑圧され小さく弱い存在とされていた女性たちを神が用いて、宣べ伝えられていったのです。