黙想の糧(5月17日)
ヨハネ16:25〜33、コロサイ3:12〜17

「…だが、あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る。…これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」

「どこに平和なんてあるんだ!」

 「散らされて自分の家に帰ってしまい…」
食事の席で言われたイエス様のステイホーム宣告です。
しかしその後で、「わたしによって平和を得る」とも言われました。
 ヨハネによる福音書では14:27、20:19でも平和という言葉が使われています。
共通しているのは、この言葉は「苦難、恐れ、心の騒ぎ」をもつ弟子たちに使われていて、
しかしそれにも拘らず、一方的にイエス様によって「平和」の訪れが告げられていることです。

 私たちの世界には、戦争、貧困、差別、疫病という様々な苦しみがあります。
どこにキリストの平和があるのかと思います。
でも今日の福音で「勇気を出しなさい」と語られたということは、
キリストの平和とは一時的なものでも、静的なものでもなくて、
外に出て動的に作り出していくということなのでしょう。
それも、困難な中で、キリストの使命を選びとりながらです。

 20章では、家の戸に鍵をかけた弟子たちに、イエス様は語られます。
「平和があるように」と。
その家を出たときから、彼らは自分が思い描く平和ではなく、
キリストが与える平和に自らを投げ出していきました。
「赦し合い、愛し合うこと」の使命を帯びて(コロサイ3:12〜15)。