黙想の糧(7月5日)
マルコ1:21〜28

そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。 「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」 イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、 汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。

「イエスよ、かまわないでくれ」

 イエス様の伝道は、ユダヤ教の会堂での悪霊追い出しから始まりました。「人間をとる漁師にしよう」という言葉で、弟子となった者たちに見せる、最初の業です。会堂の外での悪霊との対決は、それ以降のことです。聖書では、悪霊は病とも関係付けられますが、悪魔の機能的な働きとしても記されます。
 イエス様は、なぜ一番最初に会堂の外ではなく、会堂の中の悪霊と戦われたのでしょう。ここに私たちが自分のこととして聞かなければならないことがあるように思います。悪霊は、まるでウィルスのように人の心の隙間に忍びこみます。会堂の中の人にもそっとささやくのです。「ナザレのイエス、かまわないでくれ(原文は、私たちは私たち、あなたはあなた)」との叫びは、ここから先はたとえあなたでも入って来ないでと思う、そんな私たちの心と似てはいませんか。
 ペトロの手紙一5:8に「悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています」と書かれています。教会の中に混乱が起きていました。人々の心に「悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口」が溢れていました(2:1)。それが悪魔の手口だとも知らないで。
 十字架を見上げようとしない心の隙間に、悪霊はひそかに忍び込もうとします。イエス様の十字架は、そのような暗闇の力から救い出すことでもありました(コロサイ1:13)。信仰の世界は、霊的な戦いだと知りましょう。
エフェソ6:10からをお読みください。信仰者の勝利の秘訣が書かれています。