黙想の糧(1月20日)
ペトロの手紙一 4:13


「むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど喜びなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びに満ちあふれるためです。 」

「キリストの苦しみ」

 主イエスの地上でのご生涯が苦しみであったと語ったのは、ヘブライ人への手紙の著者です。
「キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力ある方に、祈りと願いをささげ…」(ヘブライ5:7)
そして、キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみよって従順を学ばれ「永遠の救いの源」となったと語っています。
 ペトロの手紙4章13節にも書かれている「キリストの苦しみにあずかる」とは、あなたもキリストのように苦しみなさいという意味ではなくて、キリストが私を救うために苦しまれ、それゆえ「永遠の救いの源」となってくださった、そのキリストの恵みに“つながる”ということです。ペトロは、そうであれば、イエス様が再び来られるとき、「喜びに満ちあふれる」と語ります。「喜びに満ちあふれる」という言葉は、喜び踊るとか狂喜という意味で、原文は現在形で書かれていますから、いつまでも続く大きな喜びがあるという約束です。
 ところで、キリストの苦しみは、イエス様が生きられたご生涯のことだけではありません。あのパウロが教会を迫害しているとき、ダマスコの途上のパウロに、復活のキリストはこう語りました。
「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」と(使徒9:5)。

教会への迫害は、「私-イエスの苦しみなのだ」と語ったのでした。キリストは今も苦しまれているのです。この地上で私たち(教会)が苦しむとき、イエス様がそのところでも「涙を流しながら、祈りと願いをささげている」ことを覚えましょう。そして、苦しみは苦しみで終わるのではなく、喜び踊る祝福へと導かれていることを信じたいと思います。