黙想の糧(2月17日)
ペトロの手紙二 1:2、3:18

神とわたしたちの主イエスを知ることによって、恵みと平和が、あなたがたにますます豊かに与えられるように。(1:2)
わたしたちの主、救い主イエス・キリストの恵みと知識において、成長しなさい。(3:18)

「キリストを知る」

 「主イエス・キリストを知る」という言葉は、ペトロの手紙二のキーワードです。「知る」と訳されている言葉(エピギノースコー)は、居場所を指示する前置詞と、体験的に「知る」という動詞が合わせられていて「精通する、完全に知る」という意味が基です。ですので、知的に知るという意味ではありません。
旧約ヘブライ語では、この語は「ヤーダー」という動詞で、たとえば創世記4:1の「アダムは妻エバを知った」というように、人格的な交わりが意識されている言葉です。
 ペトロの手紙二の著者は、キリストを知ることは、「人格的に」しかも、ある「場所で」知っていくこと、「精通していくこと」を考えています。その場所とは、「信仰、徳、知識、自制、忍耐、信心、兄弟愛、愛」を加える(原文は備える)ところだと語ります(1:5-6)。これは他者との関係性の中で現わされる信仰の実です。キリストを知ることは、このように他者とのつながりという場所の中で知らされていくということなのでしょう。
 パウロは、コリント二13:5で「…自分を吟味しなさい。あなたがたは自分自身のことが分から(エピギノースコー)ないのですか。イエス・キリストがあなたがたの内におられることが」と語りました。
 パウロにとってキリストを知るとは、「私たちの中に」キリストがおられることを、全く疑わないことでした。キリストが、こんな私たちをも愛して、共にいてくださるということを、キリストの十字架と復活ゆえに確信していたのでした。キリストを知ることは、他者との関係性の中で知らされていくと同時に、その根底にある主の十字架と復活の場所から生起することを覚えたいと思います。