黙想の糧(5月24日)
ローマ14:1〜4、13〜19、列王上2:5〜10

あなたの食べ物について兄弟が心を痛めるならば、あなたはもはや愛に従って歩んでいません。食べ物のことで兄弟を滅ぼしてはなりません。キリストはその兄弟のために死んでくださったのです。 …だから、平和や互いの向上に役立つことを追い求めようではありませんか。

「兄弟が心を痛めるなら」

 隣人を愛するとは、具体的にどういうことなのでしょう。
パウロはローマの教会に宛てた手紙の中で、
それは「兄弟の心を痛めさせないこと」(14:15)と語ります。
 ある人が平気で食べれるものを、ある人は信仰心から食べません。
そのことで、教会の中に密かな侮りや裁き合いが起きていました。
みんな自分が正しいと思っているからです。
しかし、パウロの次の言葉は痛烈です。
「あなたは何者ですか」(14:4)。

正しさの押しつけは人を傷つけます。
人は傷つけられたことを忘れませんが、人を傷つけたことは自覚しません。
あのダビデ王が死の間際で願ったことは、かつての心の傷ゆえの報復でした。
自分が多くの罪を赦された感謝もなかったかのように。

 自分こそが正しいとする自己絶対化の心が、
人間関係において最も危険だとパウロは考えていました。
正しさという「つまずき」を相手の前に置けば、人は去っていきます。
言えなくさせるからです。
結果は、そしりの種として自分に返って来るだけなのです(14:16)。

 自分の確信を持ちながらも、相手の心の痛みに寄りそって
互いの向上(家を建てる)に努めること(14:19)。
それが、神の心だとパウロは語ります。
隣人と共に生きることは簡単ではありません。
今週も御言葉に聴きましょう。