黙想の糧(12月9日)
ルカによる福音書 3:4〜6


「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。 谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、 人は皆、神の救いを仰ぎ見る。」

「叫ぶ者の声」

 ルカによる福音書は、イエス誕生の前に、ヨハネの誕生を描きます。イエスとヨハネの互いが合わせ鏡のように映し出されて、公の場に現れてきます。この書き方で、ルカはヨハネの人生もまた、イエスの命の中にあることを示そうとしているのでしょう。そのヨハネの役割は、主イエスを迎える道備えでした。
 ヨハネは人々にイザヤ書40:3~5を引用して語ります。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、人は皆、神の救いを仰ぎ見る。」この翻訳はギリシア語に翻訳された七十人訳聖書の訳を使っていますので、私たちの聖書にあるイザヤ書の訳とは違っています。
 ところで聖書は、ヨハネにわたし言葉で話をさせず、聖書そのものの言葉で語らせています。み言葉によってのみ、人々に「待ち望む」ことを教えているかのようです。引用されたイザヤ書は、バビロン捕囚から人々が祖国に帰還するシーンを想起したところです。谷、山、丘、でこぼこ道とは、バビロンより西側の荒れ野地帯を指しています。祖国に戻るには、本当はバビロンから西側に一直線に帰ることが理想なのですが、イザヤの時代は、バビロン以西は人が通れる道が作られてはいませんでした。そのため、帰還するには、わざわざ北上して迂回する道を辿らなければなりません。しかしこの時に至って、神は自ら道なき荒れ野に道を作られると宣言をしたのでした。
 主を待ち望むアドヴェントは、神がなさった救いのできごとを「み言葉」を通して待ち望みましょう。静まってみ言葉に聴き、祈らせていただきましょう。