黙想の糧(9月16日)
ペトロの手紙一1:5〜9

あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。 それゆえ、あなたがたは、心から喜んでいるのです。今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、 あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。 あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。 それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。

「喜びに満ちあふれる」

ペトロの手紙一1:8「喜びに満ちあふれています」は、「喜びで喜び踊っています」が原文の直訳で、「喜び」という名詞と「喜び踊る」という動詞が重ねられた文章となっています。この「喜び踊る」という動詞は、新約聖書では11回使われる言葉ですが、ペトロ一で3回使われていますから(1:6、1:8、4:13)、この手紙の特愛の言葉とも言えます。
 同じ言葉は、マリアの賛歌でも使われています。「わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。」(ルカ1:7)
 ペトロの手紙一の背景には、小アジアのキリスト者の迫害があります。著者ペトロはそのことを知っていますが、それでもなおキリスにある救いの喜びが、どれほど大きなものであるかを語ります。
 人は誰も、苦しみを好み、苦しみを喜ぶ人はいないでしょう。あまりに苦しみが多いと、信仰の喜びも失われていくということもあるかもしれません。でも、忘れてならないことは、イエス・キリストが与えてくださった「救いの喜び」は、私たちが喜べない状況の中にあったとしても、目減りするようなものではないということです。救いの喜びの根拠は、私たちの感情にではなく、神がイエス・キリストをとおして成就した救いの約束にあるからです。パウロはこう語ります。「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。 ・・・しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。 」(ローマ8:35−37)