黙想の糧(12月29日)
マタイ1:19-20

夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。

「夢見るヨセフ」

 旧約聖書には「夢」という言葉が何度も出てきます(81回)。「ヨセフの夢」「ダニエルの夢」などはよく知られたところです。「夢を見る」という言葉は、原語では「夢」も「〜を見る」も語根は同じです。正確には「夢で夢を見る」です。つまり旧約での夢は「見る」ということに中心が置かれています。
 新約聖書では、夢はマタイによる福音書のヨセフとピラトの夢(27:19)で語られています。旧約ではあれほど夢について語られているのに、新約では驚くほど夢については語られません。
 旧約では、夢は預言者の活動がなかった時代に集中して夢が語られます。神様は後に起こることを、夢を通しても語りました。しかし、ソロモン以降に台頭してくる預言者の時代になると、夢ではなく、預言者の言葉を通して(律法に基準を置いて)神様は言葉を語るようになります。マタイに記された「ヨセフの夢」は、このような旧約の背景の理解が必要です。
 なぜ、ヨセフが「夢」でお告げを受けたのか?マタイは「主は預言者を通して言われていたことが実現するためであった」と記しています(1:22、2:15、2:23)。
 マタイの時代以前から、旧約時代のような預言者は現れません。当時の信仰的態度は、律法主義へと傾斜していました。それは、自分のあり方を絶対化させ、自分が神になって、神の言葉を聞いたつもりになってる時代でした。そのような時代に、「真の預言者であり、最終の啓示者であるイエス・キリスト」おいて、神はこれから起こることを語られるということをマタイは告げようとしています。2020年、キリストを見る年にしましょう。見ることはキリストの言葉を「聞く」ことです(ローマ10:17)。