黙想の糧(11月11日)
ペトロの手紙一3:15〜16


心の中でキリストを主とあがめなさい。あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。 それも、穏やかに、敬意をもって、正しい良心で、弁明するようにしなさい。そうすれば、キリストに結ばれたあなたがたの善い生活をののしる者たちは、悪口を言ったことで恥じ入るようになるのです。

「希望について弁明する」

 「あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。」(ペトロ一3:15)
 「弁明」という言葉は、ギリシア語ではアポロギアで、英語のアポロジーもそこからきていると言われます。ギリシア語の「弁明」は、プラトンの「ソクラテスの弁明」のように、法廷などの場において自らの立場をはっきり述べ、明らかにすることを意味していると言われますが、しかし聖書で使われる場合の「弁明」には、もう一つ大切な意味が含まれているように思います。
 弁明(アポロギア)は「アポ(離れる)」と「ロギア(説明、言葉)」の合成語で作られていますから、原意は「言葉を離れて」ということになります。ペトロ3:15でも語られている「弁明」は、自分しかわからないような言葉を離れて、相手の置かれている立場、思いに寄り添った言葉を伝えることを意味しているようです。
 使徒言行録の22:1で、エルサレム神殿境内でユダヤ人の暴動が起きて、ローマ兵に捕らえられたパウロが「弁明を聞いてください」と呼びかける場面があります。
 この時パウロは、ローマ兵に向けて話していたギリシア語をやめて、群衆の言葉であるヘブライ語で話をしたことが書かれています。そして、この場面でパウロは「弁明」という言葉を使います。
 このことも、聖書は博識のパウロを伝えたいのではなく、「相手の立場に立った言葉」で福音を伝えていることを教えているのでしょう。イエス・キリストを証する者は、自分の口から出る言葉をたえず吟味し、また丁寧でなければならないということでしょう。ペトロは、続けて原文でこう付け加えています。「ただし、柔和と恐れ(敬意)をもって」と。