黙想の糧(1月19日)
ルカ2:48

「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」

「心に納める」

 「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」(ルカ2:48)
 いなくなった12歳の少年イエスを、両親は3日間必死になって捜しました。神殿境内で見つけた母マリアはイエスを叱ります。それが冒頭の言葉です。
 イエス様は答えます。「わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」このあと、聖書には、「しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。…母はこれらのことをすべて心に納めていた。」と書かれています。
 傍線をつけた「言葉」と「これらのこと」は原文では同じで、言葉という意味の他に、「できごと」という意味があります。マリアは、イエス様の言葉も、そこで起きているできごとの意味もわからなかったはずです。
 「なぜこんなことをしてくれたのです」は、わからないから訴えたのでした。しかし、わからないはずのマリアは、このできごとを「心に納めていた」のでした。
 人間には限界があります。自分がどうしたらいいのかもわからない。今ここで起きているできごとの意味もわからない。病気、事故、災難、試練、死。なぜこんなことがということに私たちは答えが見つけられません。しかし、聖書はそのような限界ある人間に対して、「心に納める」道があることを教えています。 「心に納める」は、「秘め置く」という意味です。わからないけれども、そのできごとの背後に働く神の導きのメッージを聞いていくという道です。「心に納める」道を歩む人は、いつか神がそのできごとの意味を明らかにしてくださいます。できごとの意味することを、体験的に知っていくために、絶えず「問い」を自らの中に秘め置き、祈る者でありたいと願っています。