黙想の糧(8月9日)
マルコ2:18〜22

人々はイエスのところに来て言った。「ヨハネの弟子たちとファリサイ派の弟子たちは断食しているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか。」 …だれも、織りたての布から布切れを取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。そんなことをすれば、新しい布切れが古い服を引き裂き、破れはいっそうひどくなる。

「新しい布で古い服に継ぎ当てはできない」

 熱心な宗教者が、週に2度の断食をしていた時代です。人々は、イエス様に質問したのです。「あなたの弟子はなぜ断食をしないのか?」と。聖書での断食とは、罪の赦しを神からいただくための行いです(レビ16:29-31)。モーセ、サムエル、ダビデ…旧約に登場する偉人たちも断食しています。だから、悪いことではありません。
 イエス様はこの問いに対して、新しい布と古い服のたとえで語ります。新しい布は、イエス様の福音のこと。古い服は、断食の時に必ず着る粗布がイメージされています。苦しい時には自分で自分を鼓舞して頑張るしかない。でも少しだけイエス様の教えで慰めを得たい…そんな健気な信仰者への言葉としても聞こえてきます。
 古い服を着込んで、自分で頑張って神様に喜んでもらえるならそれもいいでしょう。それができるときはいいのです。でも頑張れなくて、結果が伴わなくなれば、やがてその服はボロボロになります。そして、福音の慰めも消えてこう思うのです。なんて私はダメなんだろうと。
 努力や頑張りは大切です。信仰の世界では神に近づくための誠実さでもあるでしょう。でも、イエス様の喜びは、古い服という自分の感覚を頼りにするのではなく、イエスの福音という布の中で与えられていくのです。信仰とは、神の側にある真実に信頼することなのですから。
 自分を棚に上げて信じるのです。あなたがどういう人であろうと関係ありません。信仰にとって一番邪魔なのは、自分はこれだけやってきた、自分はこれだけできるという「自信」です。神の眼差しの中に立ちましょう。一人神の前で祈りましょう。神様が待っておられます。