黙想の糧(9月23日)
ペトロの手紙一1:13〜16

だから、いつでも心を引き締め、身を慎んで、イエス・キリストが現れるときに与えられる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。 無知であったころの欲望に引きずられることなく、従順な子となり、 召し出してくださった聖なる方に倣って、あなたがた自身も生活のすべての面で聖なる者となりなさい。 「あなたがたは聖なる者となれ。わたしは聖なる者だからである」と書いてあるからです。

「聖なる者になりなさい」

 ペトロの手紙一1:15では「生活のすべての面で聖なる者となりなさい。」と語られています。この言葉は、旧約聖書のレビ記19:2の「あなたたちは聖なる者となりなさい。あなたたちの神、主であるわたしは聖なる者である」から引用された言葉です。
 「聖」という言葉は、「区別する」というのが元々の意味で、旧約聖書の時代もペトロの時代もそれは変わりません。具体的には、俗と区別することで、神の所属の中での交わりを感謝して生きるという意味があります。しかし、人はいつの間にか誤解して誤った道を歩んでしまうことがあります。神との交わりを感謝して生きるための「聖さ」が、いつのまにか、他者を「汚れの者」として評価していく傲慢さに置き換わってしまうのです。イエス様はそのような者を「盲人」と呼びました。(マタイ15:14)
 イエス様は、汚れた者の中に入って交わりをされた方です。信仰を捨ててしまったような人、不道徳な生活をしている人、罪人と呼ばれた取税人、売春婦。そのような、あえて汚れの烙印を押された人々の中に入って交わりをされたのです。そして、そのような者たちは、イエス様と出会うことで、「区別され」「所属を変えらる」体験をしていくのでした。愛と憐れみよって変えられたのです。
 ペトロは迫害下の時代に、「聖なる者となりなさい」と呼びかけます。主を捨ててしまいたくなるような時代に、たとえ人からは見捨てられても、ご自分の所属に移された者を決して見捨てないイエス様の愛を、ペトロは語っているのです。