黙想の糧(10月7日)
ペトロの手紙一2:13〜14

主のために、すべて人間の立てた制度に従いなさい。それが、統治者としての皇帝であろうと、 あるいは、悪を行う者を処罰し、善を行う者をほめるために、皇帝が派遣した総督であろうと、服従しなさい。 善を行って、愚かな者たちの無知な発言を封じることが、神の御心だからです。

「聖書の国家観」

 「主のために、すべて人間の立てた制度に従いなさい。それが統治者としての皇帝であろうと・・・服従しなさい。」(ペトロ一2:13-14)ペトロの手紙に書かれたこの言葉を読むと、どんなことがあっても権威のある者に従わなくてはならないと考えてしまいそうです。
 しかし聖書には真逆にも読める箇所があります。それは、エフェソ書6:11-12です。
 「悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身につけなさい。わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。」
 このエフェソ6章と先のペトロ2章を比べると、正反対のようにも読めます。このような例は聖書にいくつもあります。どのように理解すれば良いのか。私たちは「聖書から」問われることになります。ローマ書の13章もこの問題に触れていますからお読みください。また福音書では、イエス様が税金の問いで語られた、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」が、このことを考えるにあたっての重要な箇所です。(マタイでは22:15〜)
 全体を通して言えることは、聖書は「枠」としての国家の秩序を否定はしていないことです。原則は従うということを語っているようです。しかし、国家という「枠」を悪用する「悪霊」または「諸々の権威」には立ち向かうということも否定はしていません。この理解は、旧約の王政の理解とも関係していますが、またいつか触れたいと思います。聖書全体から学んで参りましょう。