黙想の糧(3月31日)
マタイによる福音書16:24

わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。

「自分の十字架を背負う」

 旧約聖書の申命記21:23に「…木にかけられた死体は、神に呪われたものだからである。…」との規定が書かれています。これは、木にかけて人を死なせるという処刑ではなく、処刑した死体を「木にかける」という内容のものです。古代ユダヤ法には十字架で処刑することはありません。
 十字架刑は、ギリシア人及びローマ人の発明した刑です(十字架と訳されたスタウローは杭を打つが語源)。元々は反乱した奴隷に限って用いられ、それが全地方に広がって行きました。十字架刑は、刑を受ける人が十字架の「横木」を、刑場に立っている「縦木」のところまで担いで行きます。その向かう途中で群衆の嘲りを受けます。この刑の本来意味していることは、かつて反乱した者が、今は「ローマ法に従順に服している」という姿を見せることでした。
 マタイ16:24「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」に書かれている「自分の十字架」とは、古代ユダヤ法のような「呪いの木」や、イエス様と同じような苦しみの十字架を担げという意味ではありません。「自分の十字架」とは、比喩的意味を持っていて、「自分の思いと神の思いが交差する」時、自分の思いを捨てて(後ろにして)、神の思いに従順になりなさいという勧めです。
 イエス様は、父なる神に、死に至るまで従順でした(ヘブライ5:8)。同じように、あなたが、自分の思いや欲望を優先させたいと思う時に、そうではなく「神様の御心に従順になりなさい」と語られています。それが、神の祝福をいただく道であると、イエス様は仰ったのです。