黙想の糧(6月14日)
マルコ1:12〜13

それから、“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。 イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。(☆本文中の“霊”とは、聖霊のことです。)

「野獣か天使か」

 イエス様が洗礼を受けられ、聖霊が送り出したところは荒れ野です。
聖書での荒れ野とは、試練の場所であり、また神の恵みに気づかされていく場所です。
イエス様はそこでサタンの誘惑を受けられました。
サタンとは、中傷する者、妨げる者という意味を持ちます。
新約聖書では悪魔と同義語としても語られます。
聖霊はわざわざその場所にイエス様を送り出しました。
野獣(悪しき存在)と天使(神の恵み)が混在するその場所に。

 私たちは困難な出来事に遭遇すると、
その出来事が克服され全て整えられてから、歩みを始めようとします。
その問題が解決されないと、
神の恵みのうちに自分がいないからと思うからでしょうか。
しかし、イエス様は、恵みを妨げる問題(野獣)と神の恵み(天使)と一緒にいたのでした。
そこは人生という荒れ野です。

 困難な出来事を通しても聖霊の導きを求める人は幸いです。
その出来事が、自分を暗闇へと追いやる誘惑ではなく、
神からの試練と受け止めることができるなら、
その人は十字架へ向かうイエス様の心を知ることになるからです。
サタンの誘惑に心奪われる人とは、苦しみと恵みを分けて考えてしまう人なのです。

 パウロは、弱さの中でこそ、キリストの恵みによって強くされると語りました(コリント二12:9)
自分の知識ではなく、神の知識と恵みによって、
荒れ野で立ち上がる力が与えられますように(ペトロ二3:18)。