黙想の糧(5月10日)
ルカ10:25〜37、詩編131編

「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」 …さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」 律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」

「隣人になれますか?」

 ある年の春の夕刻。街の歩道で、老女が段ボールを両手に自分の寝場所を探していました。
場所が見つからないようでした。通りゆく人々と一緒で、私は向こう側へ行きました。
心は少し痛んだけれど、声をかけたところで何も変わらない、そう思うのが私の日常でした。

 助けたいけれど、思うだけ。今まで当たり前のこととして考えなかった距離感を、
今このとき、今日の福音書から、それでいいのか?と問われる思いがします。
道の向こう側へ行くことに慣れています。
立ち止まることもなく、通りゆく人と同じ歩調で歩こうとする私たち。

 永遠の命を受け継ぐことは、「隣人になる」ことと福音書は語っています。
たとえ話をするイエス様は、予期しない出来事の中で遭遇する、
人と人との愛の距離間が、永遠という距離を決めていくと考えているのです。

 サマリア人の「憐れみ」はキリストの心です。
詩編の詩人は、その心が自分にはないことを知っていて、
幼子のように母(神)の胸で沈黙する(聞く)と告白しました。
そうしなければ、歩道で眠るしかない人の気持ちなど考えようともしないから。
キリストの前に静まりましょう。
キリストの憐れみだけが、この世界と私たちを救います。