黙想の糧(8月12日)
マタイによる福音書18:15〜20

兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。 聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。すべてのことが、二人または三人の証人の口によって確定されるようになるためである。それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。教会の言うことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい。はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。

「兄弟のけんか」

マタイ福音書18:19を新共同訳と原文直訳で訳を並べてみます。
「どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれを叶えて下さる。」(新共同訳)
「あなたがたのうちの二人が、願い求めるすべてことについて地上で心を合わせるなら、天にいるわたしの父のもとから、彼らに対して成るであろう。」(原文直訳)
ここに出てくる「あなたがた」とは「けんかをしている兄弟たち」のことで、教会の中の人々を「兄弟」と呼んでいます。
翻訳を見比べると、新共同訳の強調点は「求める」ところにあり、原文での強調点は「心を合わせる(一致)」ためのプロセスにあるように感じます。また、新共同訳では、願い事の成就は天の父からの一方的な恵みとして語られているのに対して、原文では、「彼らに対して成る」というように、恵みは祈られる者たちへのはからいとして語られています。
けんかをしている兄弟が、心を一つにして求める(祈る)ことは難しいことです。しかし、異なる考えや願いがあることを承知の上で、それでも「一致への願い」を祈り求める時、神様がその願いを聞きあげてくださる。イエス様が言われたのは、一致してから求めるというより、求めるプロセスを通して、一致への恵みが備えられていくということのようです。
喜びや感謝だけでなく、悔しさ、悲しさ、怒り、嘆きを、人にではなく神に祈る時、天の父のもとから、「成る」ための必要が必ず与えられていきます。変えられなかった現実が動き出すのです。